病気と健康の話

夏の波に備えておく―シンガポールの今と変異株「Nimbus 系 PQ.16.1.1」―

はじめに ― 「夏だから大丈夫」ではありません

世界の関心がエボラ出血熱の流行に集まる一方で、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は季節を問わず変化を続け、各国で静かに感染の波を起こしています(Thailand Medical News, 2026)。注目されるのはシンガポールの動きです。シンガポールの感染症対策当局(CDA)は 2026 年 5 月 21 日、直近 1 週間(5 月 10〜16 日)の推計感染者数が 12,700 人と、前週の 8,000 人から約 6 割増加したことを発表しました。1 日あたりの入院も平均 56 人から 73 人へと増えています(CDA, 2026)。

シンガポールで主流となっているのは、JN.1 から派生した「NB.1.8.1(通称 Nimbus〈ニンバス〉)」という系統です(CDA, 2026)。当初、今年の夏は「セミ(Cicada)型」など別系統が広がると予想する見方もありますが、現状はこの Nimbus 系から枝分かれした「PQ.16.1.1」が、近隣地域でじわじわと割合を伸ばしています。日本でも、この夏は Nimbus 系 PQ.16.1.1 が流行の中心になる可能性があります。本コラムでは、夏の波がなぜ起こるのか、Nimbus 系 PQ.16.1.1 とは何か、そして最も現実的な備えである「ワクチンの更新接種」までを、最新の情報に基づいて整理します。

1. シンガポールの今 ― 「より危険になった」わけではない

感染者数が急増すると、「ウイルスが危険になったのでは」という不安が広がりがちです。実際、シンガポールでは「今の変異株は熱が出ず症状に気づきにくいので危険だ」という真偽不明のメッセージが SNS で拡散しました。これに対し CDA と感染症の専門家らは、現在の状況が以前より危険だというのは事実ではない、と明確に否定しています(The Straits Times, 2026)。

CDA の専門家は、現在主流の NB.1.8.1(Nimbus)による症状は、軽い上気道炎から肺炎などの重症まで、これまでの流行株とおおむね同じだと説明しています(The Straits Times, 2026)。感染者数が増えている主な理由は、ウイルスが強毒化したからではなく、前回の流行から時間が経ち、社会全体の免疫が低下した(waning immunity)ことにあると分析されています(CDA, 2026)。

したがって、過度に恐れる必要はありません。一方で、感染者数そのものが増えれば、高齢の方や基礎疾患のある方が感染する機会も増えます。重症度が同じでも、流行が大きくなれば医療への負荷は高まります。「危険ではない」ことと「備えなくてよい」ことは、別の話なのです。

2. Nimbus 系「PQ.16.1.1」とは何か ― 急速に割合を伸ばす新しい枝

Nimbus(NB.1.8.1)は、2025 年 1 月に初めて報告され、WHO が監視対象(VUM)に指定した、オミクロン由来の系統です。スパイクタンパク質の変異により従来株よりやや感染が広がりやすく、以前に「激しい咽頭痛」が話題になりました(Healthline, 2025)。PQ.16.1.1 は、この Nimbus の流れをくむ子孫の一つにあたります。

注目すべきは、その増え方の速さです。ある地域の週ごとの検出データでは、PQ.16.1.1 が全体に占める割合は第 15 週の約 1%から、第 17 週には 4%、第 18 週には 11%、第 19 週には 21%へと、わずか 1 か月余りで急上昇しました(検体採取日ベースの週次集計)。全体の検査件数が減るなかで割合が伸びているということは、この系統が相対的に勢いを増していることを示唆します。

ただし、ここでも大切なのは「より重症化する」という証拠は現時点で確認されていない、という点です。WHO も、XFG や NB.1.8.1 といった JN.1 系の新しい系統について、地域によって感染者・入院者の増加は見られるものの、他の流行株より重症度が高いという根拠は今のところない、と評価しています(WHO TAG-VE, 2025)。PQ.16.1.1 の主な特徴も、重症度というより「広がりやすさ」と「免疫のすり抜けやすさ」にあると考えられます。

3. なぜ「夏」に波が来るのか ― 季節性と免疫の減衰

「コロナは冬の病気」という印象がありますが、新型コロナは流行開始以来、夏にもはっきりとした波を繰り返してきました。米国 CDC の研究者らが 2025 年に Emerging Infectious Diseases 誌に発表した解析では、米国の新型コロナはおおむね年 2 回(冬と夏)のピークを持つ周期を示し、その周期がスパイクタンパク質(S1 領域)の抗原的な多様化と関連していました(Emerg Infect Dis, 2025)。

なぜ夏にも波が来るのか。2026 年に PLOS Pathogens 誌に掲載されたハーバード大学グループの数理モデル研究(Rubin et al.)は、その答えとして「季節要因」と「免疫の減衰」の組み合わせを挙げています。ワクチンや感染で得た中和抗体は通常 3〜6 か月で低下するため、前回の流行から半年ほど経つと集団の免疫が下がり、たとえ夏でも新たな波が起こりうるのです(PLoS Pathog, 2026)。シンガポール当局が増加の一因に「集団免疫の低下」を挙げているのも、これと同じ考え方です(CDA, 2026)。

加えて日本の夏は、冷房の効いた屋内に人が集まり換気が不十分になりやすく、お盆の帰省や旅行で人の移動も増えます。「夏だから安全」なのではなく、「夏には夏の流行条件がある」と考えるのが、現在の科学的な理解です。

4. 何度も感染するのはなぜか ― 「免疫のすり抜け」のしくみ

「ワクチンも打ったし、前にもかかったのに、また感染した」という声をよく聞きます。これは免疫が無意味だったということではなく、ウイルス側の「免疫逃避」と、私たちの免疫の「減衰」という二つの現象で説明できます。

新型コロナは、スパイクタンパク質のとくに受容体結合領域(RBD)に変異を積み重ね、過去の抗体が結合しにくい形へと変化してきました。WHO の評価でも、JN.1 系の新しい系統は中和抗体による認識を一部すり抜ける性質が指摘されています(WHO TAG-VE, 2025)。Nimbus 系 PQ.16.1.1 が急速に広がっているのも、この免疫逃避が一因と考えられます。

一方で、過去の感染による「再感染への防御効果」は確かに存在します。2023 年に Lancet 誌に掲載された大規模なメタ解析(Stein et al.)では、再感染防御は変異株や時間経過で低下するものの、とくに重症化に対する防御は比較的長く保たれることが示されました(Lancet, 2023)。さらに 2025 年に Nature 誌に発表されたカタールの大規模研究(Chemaitelly et al.)では、オミクロン出現の前後で再感染への防御の性質が変化していることが報告され、ウイルスの進化に応じて免疫の効き方も変わっていく様子が裏づけられています(Nature, 2025)。

5. 最大の備えは「更新されたワクチン」 ― 古いままでは不十分

夏の波に対する最も現実的で効果的な備えは、最新の組成に更新されたワクチンを接種することです。新型コロナワクチンは、流行するウイルスに合わせて中身(抗原)が更新され続けています。WHO のワクチン組成に関する専門家会議(TAG-CO-VAC)は 2025 年 12 月、推奨する抗原を「LP.8.1」とすると発表しました。従来の JN.1 系(JN.1 や KP.2)も引き続き適切な選択肢であり、新しい組成を待つために接種を遅らせるべきではない、とも明記しています(WHO TAG-CO-VAC, 2025)。

シンガポール当局も、現行のワクチンが Nimbus(NB.1.8.1)に対して有効であり続けると評価したうえで、60 歳以上の方や、慢性疾患をお持ちの医学的にリスクの高い方には、最新の接種を保つよう(最後の接種から約 1 年後の追加接種を)推奨しています(CDA, 2026)。シンガポールの専門家も、結婚式や卒業式など大切な予定を控えた人には接種を勧めていると述べています(The Straits Times, 2026)。

ここで重要なのが「更新されたものを打つ」という点です。2024 年に Nature 誌に発表された北京大学グループの研究(Yisimayi et al.)は、初期の武漢株の記憶が強く残る「免疫の刷り込み」が、新しい変異株への繰り返しの接種・感染によって徐々に上書きされ、より幅広い変異株に対応する抗体や鼻粘膜の免疫が育つことを示しました(Nature, 2024)。定期的な更新接種は単なる「打ち直し」ではなく、免疫の幅と質をアップデートする意味を持つのです。とくに高齢の方や基礎疾患のある方では、その意義はより大きいと考えられます。

6. 夏の波を乗り切るために ― 検査・受診・生活と「見えない後遺症」

ワクチン以外の備えも特別なことではありません。人混みや換気の悪い室内ではマスクを活用し、こまめな手洗いと十分な換気を心がけること。体調がすぐれないときは無理をせず、人との接触を控えること。とくに高齢のご家族や基礎疾患のある方と接する前は、いっそうの注意が役立ちます。Nimbus 系で報告される喉の痛みは、溶連菌など別の病気のこともあるため、症状が強いときは自己判断せず検査を受けることをおすすめします。

もう一つ忘れてはならないのが「コロナ後遺症」です。2024 年に Nature Medicine 誌に掲載された総説(Al-Aly et al.)は、感染後数か月以上にわたり倦怠感・息切れ・思考力の低下(ブレインフォグ)などが続く例が、世界的な健康・社会・経済上の課題であり続けていることをまとめています(Nat Med, 2024)。複数のコホート研究をまとめたメタ解析でも、感染から 6 か月以上たっても約 18%に何らかの症状が残るとの報告があり、「軽症だったから後遺症と無縁」とは言い切れません。感染そのものを減らすことが、後遺症対策にもつながります。

重症化リスクの高い方は、抗ウイルス薬を発症早期に使うほど効果が期待できるため、発熱やのどの痛みが出た段階での早めの受診が肝心です。当院では、平日に受診しにくい方のために日曜・祝日の診療も行っています。

おわりに ― 「今のうちに」備えておく

シンガポールの感染拡大は、対岸の火事ではありません。Nimbus 系 PQ.16.1.1 が近隣で急速に割合を伸ばしている今、日本でもこの夏に同じ系統の波が来る可能性があります。鍵となるのは、ウイルスの「免疫のすり抜け」と、私たちの免疫の「減衰」という二つの力学です(PLoS Pathog, 2026; CDA, 2026)。一方で、重症化を防ぐ免疫は比較的長く保たれ、更新されたワクチンの接種は免疫の幅を広げてくれることも分かっています(Stein et al., Lancet 2023; Yisimayi et al., Nature 2024)。

過度に恐れる必要はありません。しかし「夏だから」「危険ではないから」という油断も禁物です。波が大きくなる前の今のうちに、対象となる方は更新されたワクチンの接種を検討し、体調の変化には早めに対応する――それが夏を楽しむための最良の備えです。接種やワクチンの種類、気になる症状について、どうぞお気軽に当クリニックにご相談ください。

FAQ ― よくあるご質問

Q1. シンガポールで流行しているのなら、日本でもこの夏に流行するのですか?

その可能性は十分にあります。シンガポールでは 2026 年 5 月、1 週間の推計感染者が 12,700 人と前週から約 6 割増え、JN.1 由来の NB.1.8.1(Nimbus)が主流となっています(CDA, 2026)。Nimbus 系から派生した PQ.16.1.1 は近隣地域で急速に割合を伸ばしており、人の往来がある以上、日本でもこの夏に同じ系統の波が来ることは十分に考えられます。新型コロナはもともと夏にも流行の波を繰り返してきた感染症であり(Emerg Infect Dis, 2025)、「夏だから流行しない」とは言えません。今のうちに備えておくことが大切です。

Q2. 「今の変異株は熱が出ず気づきにくいので危険」と聞きました。本当ですか?

それは正確ではありません。シンガポールでも同様のメッセージが SNS で広まりましたが、CDA と感染症の専門家らは「現在の状況が以前より危険だというのは事実ではない」と明確に否定しています(The Straits Times, 2026)。専門家によれば、Nimbus(NB.1.8.1)の症状は軽い上気道炎から肺炎などの重症まで、これまでの流行株とおおむね同じです。むしろ Nimbus 系では「のどに刃が当たるような激しい咽頭痛」がよく報告されています(Healthline, 2025)。不確かな情報に惑わされず、公的機関の発表に基づいて落ち着いて対応することが大切です。

Q3. ワクチンは前に打ったもののままで大丈夫ですか? 打ち直す意味はありますか?

更新されたワクチンを接種することをおすすめします。WHO の専門家会議は 2025 年 12 月、推奨抗原を最新の「LP.8.1」とし、新しい組成を待って接種を遅らせるべきではないとしています(WHO TAG-CO-VAC, 2025)。中和抗体は 3〜6 か月で低下するため、古い接種のままでは防御が弱まっている可能性があります(Emerg Infect Dis, 2025)。また 2024 年の Nature 誌の研究では、更新されたワクチンへの繰り返しの接種が、初期株に偏った「免疫の刷り込み」を上書きし、より幅広い変異株に対応する抗体を育てることが示されました(Yisimayi et al., Nature 2024)。とくに 60 歳以上の方や基礎疾患のある方は、最新の接種を保つことが推奨されています(CDA, 2026)。

Q4. PQ.16.1.1 は、これまでの変異株より危険なのですか?

現時点で「より重症化しやすい」という明確な証拠は確認されていません。WHO は NB.1.8.1 や XFG など JN.1 系の新系統について、地域によって感染者・入院者の増加は見られるものの、他の流行株より重症度が高いという根拠は今のところない、と評価しています(WHO TAG-VE, 2025)。PQ.16.1.1 の主な特徴は、重症度というより「広がりやすさ」と「ヒトの免疫をすり抜けやすいこと(免疫逃避)」にあると考えられます。ただし重症度が同じでも、感染者数が増えれば高齢者など重症化リスクの高い方への影響は大きくなります。油断せず、できる備えをしておくことが重要です。

Q5. 軽症なら受診しなくてもよいですか? どんなときに病院へ行くべきでしょうか?

多くの方は自宅での休養で回復しますが、注意が必要な場合があります。高齢の方、糖尿病・心疾患・呼吸器疾患などの基礎疾患がある方、免疫が低下している方は、肺炎などへ進行するリスクがあり、抗ウイルス薬は発症早期に使うほど効果が期待できます。発熱やのどの痛み・咳などが出た段階で早めに受診し、検査を受けることをおすすめします。また、息苦しさが強い、胸の痛みがある、水分が取れない、ぐったりしているといった場合は、軽症と自己判断せず速やかに医療機関にご相談ください。当クリニックでは CT・超音波で肺炎の評価が可能で、日曜・祝日も診療しています。

参考文献

  1. Communicable Diseases Agency (CDA), Singapore. CDA statement: update on COVID-19 situation in Singapore. 21 May 2026. https://www.cda.gov.sg/news-and-events/cda-statement–update-on-covid-19-situation-in-singapore/
  2. The Straits Times. Not true that current COVID situation is more dangerous: CDA, experts. 29 May 2026. https://www.straitstimes.com/singapore/health/not-true-that-current-covid-situation-is-more-dangerous-cda-experts
  3. World Health Organization, Technical Advisory Group on COVID-19 Vaccine Composition (TAG-CO-VAC). Statement on the antigen composition of COVID-19 vaccines. Geneva: WHO; 18 December 2025. https://www.who.int/news/item/18-12-2025-statement-on-the-antigen-composition-of-covid-19-vaccines
  4. World Health Organization, Technical Advisory Group on Virus Evolution (TAG-VE). Risk evaluation for SARS-CoV-2 variant under monitoring: XFG. Geneva: WHO; 25 June 2025. https://www.who.int/docs/default-source/coronaviruse/25062025_xfg_ire.pdf
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  6. Rubin IN, Bushman M, Lipsitch M, Hanage WP. Seasonal forcing and waning immunity drive the sub-annual periodicity of the COVID-19 epidemic. PLoS Pathog. 2026;22(4):e1014169. https://doi.org/10.1371/journal.ppat.1014169
  7. Chemaitelly H, Ayoub HH, Coyle P, Tang P, Hasan MR, Yassine HM, et al. Differential protection against SARS-CoV-2 reinfection pre- and post-Omicron. Nature. 2025;639:1024-1031. https://doi.org/10.1038/s41586-025-08593-z
  8. Stein C, Nassereldine H, Sorensen RJD, Amlag JO, Bisignano C, Byrne S, et al; COVID-19 Forecasting Team. Past SARS-CoV-2 infection protection against re-infection: a systematic review and meta-analysis. Lancet. 2023;401(10379):833-842. https://doi.org/10.1016/S0140-6736(22)02465-5
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※本コラムは医学的情報の提供を目的としたものであり、個別の診断・治療を代替するものではありません。
気になる症状がある方は医療機関にご相談ください。

記事監修者田場 隆介

医療法人社団 青山会 まんかいメディカルクリニック 理事長

医療法人社団青山会代表。兵庫県三田市生まれ、三田小学校、三田学園中学校・同高等学校卒業。 1997(平成9)年岩手医科大学医学部卒業、町医者。聖路加国際病院、淀川キリスト教病院、日本赤十字社医療センター、神戸市立医療センター中央市民病院を経て、2009(平成21)年医療法人社団青山会を継承。 2025年問題の主な舞台である地方の小都市で、少子高齢化時代の主役である子どもと高齢者のケアに取り組んでいる。

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