【脂質異常症】悪玉コレステロール治療の転換点|ポストスタチン時代とは
■1.LDLコレステロール管理の重要性とスタチンの限界
心筋梗塞や脳卒中など動脈硬化性疾患の主因の一つが、血中の低密度リポタンパクコレステロール(LDLコレステロール, いわゆる「悪玉」コレステロール)の蓄積です。LDLコレステロールが血管壁に沈着してプラークを形成し、動脈硬化を引き起こすことが明らかになっています。このため、LDLコレステロール値を下げることが心血管リスク低減の基本戦略となっています。実際、LDL低下治療(主にスタチンによる治療)は一次予防(発症予防)・二次予防(再発予防)の両方で心血管イベントを大幅に減らす効果が証明されてきました。
スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)は1980年代末から臨床導入され、LDLコレステロール低下の「土台」として数十年分のエビデンスを持つ薬剤です。スタチン治療によりLDLコレステロールは約30~50%以上低下し、LDLを下げた分だけ心血管リスクが下がることが、大規模臨床試験のメタ解析で示されています。スタチンの安全性プロファイルも良好であり、重篤な副作用は稀です。ただし、「万能薬」というわけではなく、いくつかの限界が存在します。
副作用や不耐容
スタチン内服者の7~10%程度に筋肉痛などの副作用(スタチン関連筋症状, SAMS)が生じ、服薬中断の原因となります。重篤な筋障害(横紋筋融解症)はごく稀ですが、副作用への不安から自己判断で中止してしまうケースもあります。スタチン中止や低用量化によりLDLコレステロール管理が不十分になると、心血管イベントリスクが再び上昇してしまいます。
効果の頭打ち
スタチンは増量による追加効果が逓減する特性があります。例えばスタチンの用量を倍にしても、LDLコレステロール追加低下幅は約6%程度しか得られません。一方、スタチン以外の薬剤を併用すればさらに20~50%ものLDL-C低下が可能なため、最大用量スタチンのみでは達成困難な低LDL目標値には他剤の併用が必要です。
残存リスク
スタチンで大幅にLDLを下げても、なお心血管リスクが残るケースがあります。例えば糖尿病や高トリグリセリド血症を合併する人では、LDL以外の因子も関与する“残存リスク”が存在します。スタチンだけではこうしたリスク因子(Lp(a)やトリグリセリド、高感度CRPなど)に直接作用できず、追加対策が求められます。
2. ポストスタチン時代の新しい併用療法(エゼチミブ、PCSK9阻害薬、ベンペド酸、インクリシランなど)
スタチンだけで十分なLDL低下が得られない場合や、スタチンが使えない場合に備えて、近年さまざまな非スタチン系の脂質低下薬が開発・承認されています。これらをスタチンに組み合わせることで、より大きなLDL低下効果を引き出す「併用療法」がポストスタチン時代の鍵となります。代表的な新規治療には次のようなものがあります。
エゼチミブ
小腸でコレステロール吸収を阻害する経口薬です。スタチンと作用機序が異なり相乗効果が望めます。LDLを追加で約15〜20%低下させ、IMPROVE-IT試験ではスタチンに上乗せすることで心血管イベント抑制効果が証明されました。スタチンと併用しても副作用は少なく、現在は高リスク患者で広く使われています。日本でもスタチンで目標LDLに届かない場合の第一選択併用薬です。
PCSK9阻害薬
PCSK9というタンパク質を阻害し、肝臓のLDL受容体数を増やすことで劇的にLDLを下げる生物学的製剤です。現在エボロクマブとアリロクマブという自己注射薬(2~4週に1回)が利用可能です。スタチン+エゼチミブでも不十分な難治性高コレステロール血症に使われ、LDLをさらに50〜60%低下させる非常に強力な効果があります。大規模臨床試験(FOURIER試験やODYSSEY OUTCOMES試験)で心筋梗塞や脳卒中の大幅なリスク低減が確認されました。欠点は高額なことですが、日本でも重症例や家族性高コレステロール血症などで保険適用されています。
ベンペド酸
最近登場した経口薬で、肝臓内のコレステロール合成経路(ATPクエン酸リアーゼ)を阻害します。スタチンと同じ経路の上流を抑える薬ですが、筋肉では活性化されないためスタチンによる筋症状の懸念が少ない点が特徴です。スタチンが使えない患者への代替や併用薬として期待されます。単剤でLDLを約18%低下させ、エゼチミブとの配合剤では最大38%の低下が報告されています。心血管イベント抑制効果もスタチン不耐容患者を対象に証明されました(CLEAR Outcomes試験)。副作用として尿酸上昇・痛風の悪化や腱障害(まれ)に注意が必要です。
インクリシラン
CSK9合成を抑制するsiRNA医薬品です。PCSK9阻害薬と同じ標的に作用しますが、作用機序が遺伝子サイレンシングであり、半年に1回の皮下注射で済むという利便性があります。LDL低下効果は約50%で、現在欧米で承認済み(日本でも承認申請中)。長期の心血管イベント抑制効果は現在大型試験が進行中です。投与間隔が長いためアドヒアランス(継続性)の改善が期待されます。
その他
上記以外にも、胆汁酸吸着樹脂(コレスチラミンなど、LDLを15〜30%低下。ただし便秘など副作用が多く現在はほとんど使用されません)、ホモ接合体家族性高コレステロール血症向けの特殊薬(ロミタピド、エボロクマブ製剤のエベクミマブなど)も存在しますが、一般的な患者さんにはあまり使われません。また、新たな作用機序の治療薬も臨床試験中です(Lp(a)を標的としたアンチセンス療法、核酸医薬やワクチンなど)。ポストスタチン時代は、このように多様な薬剤の中から患者さん個々のリスクや体質に合わせて組み合わせる個別化治療の時代とも言えます。
各薬剤の併用により、LDLコレステロールを劇的に低下させることが可能になりました。例えば、高リスクの心臓病患者でスタチン最大量投与後もLDLが高い場合、エゼチミブとPCSK9阻害薬を併用すれば、基準値の半分以下まで下げられるケースもあります。実際、最新の米国ACC専門家によると、LDLが目標より30mg/dL以上高いようなケースでは早期からスタチン+エゼチミブ併用を推奨し、なお未達ならPCSK9阻害薬追加を検討するアルゴリズムが示されています。このように「まずスタチン、その次にエゼチミブ、それでも足りなければPCSK9阻害薬」といった段階的併用療法が標準化しつつあります。
ポストスタチン時代とはスタチンを過去のものにするという意味ではなく、「スタチンで効果不十分な領域を埋める新薬との併用時代」という意味合いです。複数の作用機序を組み合わせた包括的な脂質管理で、これまで難しかった低LDL血症の達成や、より徹底した心血管イベント予防が現実のものとなってきました。
3. LDL-Cの新たな目標値(非常に高リスク患者では55mg/dL未満、再発後は40mg/dL未満)
コレステロール管理目標値は年々厳格化する傾向にあります。「低ければ低いほど良い」という考え方がエビデンスから支持されてきたためです。とりわけ2019年に発表されたヨーロッパ動脈硬化学会/心臓病学会(ESC/EAS)の脂質管理ガイドラインでは、リスクカテゴリー別に過去最も低いLDL-C目標値が提示され、大きな注目を集めました。その後も各国でこの流れを受けたアップデートが行われています。
ヨーロッパ(ESC/EAS)2019年ガイドラインでは、以下のような数値目標が設定されています(2023–2025年のフォーカス更新でも維持)。
- 非常に高リスク(臨床動脈硬化症あり、あるいは糖尿病・慢性腎臓病・家族性高コレステロール血症など重篤なリスク因子を伴う場合): LDLコレステロール <55 mg/dL(1.4 mmol/L) かつ ベースラインから50%以上の低下。
- 極めてリスクが高いケース(二次予防で短期間に再発を繰り返す場合など): LDLコレステロール <40 mg/dL(1.0 mmol/L)。具体的には、動脈硬化疾患の既往患者が2年以内に再度イベントを起こした場合は、さらなる低LDL目標として40mg/dL未満を考慮するとされています。
- 高リスク(SCORE2リスクスコアで10年リスク5%以上10%未満、重度の高血圧や糖尿病など単一の大きなリスクがある場合など): <70 mg/dL(1.8 mmol/L)
- 中リスク(SCORE2で1%以上5%未満など): <100 mg/dL(2.6 mmol/L)
- 低リスク(SCORE2で1%未満): <116 mg/dL(3.0 mmol/L)を考慮
特に注目すべきは、55mg/dL未満および40mg/dL未満という極めて低い閾値です。これは従来の「LDLは70未満で十分」とされた基準を一段と引き下げたもので、欧州ガイドラインが「より攻めの脂質管理」に舵を切ったことを象徴しています。55mg/dLという数値は従来の正常高値(~120mg/dL)の半分以下であり、多くの患者ではスタチン単独では到達困難です。そのため、この目標を実現するには前述の併用療法が不可欠となります。また40mg/dL未満は一部の超高リスク症例に限定された目標ですが、これも達成にはPCSK9阻害薬などの活用が想定されています。
一方、米国(AHA/ACC)の2018年ガイドラインでは、数値目標ではなくリスクに応じた強度別治療(例: 高リスクなら高強度スタチンで50%以上のLDL低下を狙う)が基本となっていました。明確な「○mg/dL未満」という提示は控えられていましたが、臨床ではしばしば70mg/dL未満を目安とする考え方が用いられてきました。ところが近年、欧州に追随する形で米国でも数値目標の重要性が見直されています。例えばACCの2022年コンセンサスでは「極高リスク患者ではLDL 70mg/dL未満でもさらに低下させることが合理的」と言及され、55~70mg/dLを目標範囲とすることが提案されています。また、急性冠症候群(心筋梗塞など)後には入院中から積極的な治療で早期にLDLを下げ、できれば55mg/dL未満を目指すことが推奨されました。このように米国でも「Lower is better(より低く)」の方向に舵が切られつつあります。
日本においては、現在の脂質管理目標は従来通り「冠動脈疾患など二次予防ではLDLコレステロール<70mg/dL」が基本です。しかし海外の動向を受け、国内の専門家からも「我が国でも55mg/dLをターゲットにすべき」との提言が相次いでいます。実際、日本動脈硬化学会も2022年に「超高リスク患者では55未満を考慮」といったアップデートを示唆しており、今後正式なガイドライン改訂で反映される可能性があります。さらに日本人は欧米人に比べてコレステロール低下治療への反応が良い(同じ治療でLDLがより下がりやすい)とも言われるため、55mg/dL未満の達成も十分現実的です。
LDLを極力下げることに対して、「コレステロールを下げすぎても大丈夫か?」という心配の声があるかもしれません。しかし現在までの研究では、LDLを正常範囲以下に下げても有害な影響は確認されていません。体内で必要なコレステロールは肝臓で十分合成されるため、血中LDLが低くてもホルモンや細胞膜の材料が不足するようなことはないと考えられています。むしろ、生まれつきLDLが非常に低い体質の人は心血管疾患になりにくく長寿であるというデータもあります。このように、「悪玉」LDLコレステロールは可能な限り下げることが望ましく、そのための治療目標値も年々引き下げられてきているのです。医師と相談の上で最新の目標値を共有し、必要ならば早めに薬を追加してでも達成を目指すことが、将来的な心臓病・脳卒中予防につながります。
4. リポ蛋白(a)【Lp(a)】とアポリポ蛋白B【ApoB】の測定と意義
リポタンパク(a)(エルピー(a)と読みます。英語ではLipoprotein(a)で、略称Lp(a))とアポリポタンパクB(ApoB)は、近年重要性が認識されている脂質関連の検査項目です。それぞれ少し性質が異なりますが、いずれも従来のLDLコレステロール値だけでは把握できないリスクを評価する手がかりとして注目されています。
リポタンパク(a)〔Lp(a)〕
Lp(a)はLDL粒子に特殊なタンパク質(アポ(a)というタンパク)が結合したリポタンパクです。構造的には「LDLコレステロールの変種」のような存在で、遺伝的に決定される値(生活習慣の影響をあまり受けない)であることが特徴です。Lp(a)が高値だと動脈硬化や弁膜症(大動脈弁狭窄症)のリスクが増加することが、多くの疫学研究で示されています。独立した心血管リスク因子であり、同じLDLコレステロール値でも、Lp(a)が高い人はより動脈硬化が進みやすい可能性があります。
Lp(a)は従来あまり臨床で測定されてきませんでしたが、最近は「一生に一度は測定を」と推奨されるようになりました。欧州・カナダのガイドラインでは成人は全員一度はLp(a)値をチェックし、特に高値(例えば>180mg/dL, 約430nmol/L以上)は非常に強い遺伝的リスクとして扱うよう提言しています。一般人口の約20%は境界〜高値のLp(a)を持つとされ、決して稀な所見ではありません。日本人でも同様で、家族に若くして心筋梗塞になった方がいる場合などは、高Lp(a)体質が潜んでいる可能性があります。
Lp(a)高値の意義: Lp(a)が高い場合、それ自体が動脈硬化リスクを高める「リスク修飾因子」として作用します。例えばSCORE2などリスク計算が中リスクだった人でも、Lp(a)が非常に高ければ高リスクに格上げして治療方針を厳しめに検討する、といった使い方が可能です。また米国のガイドラインでも、Lp(a)は「リスクをさらに高める因子」と位置づけられ、境界例で治療判断に迷う際の参考にするよう推奨されています。特に家族歴が強い場合や若年発症例では、一度測っておく価値があります。
治療介入
残念ながら現在Lp(a)そのものを下げる特効薬はありません。かつてはナイアシン(ビタミンB3)がLp(a)を下げるとされ試みられましたが、副作用の問題もあり現在は推奨されていません。スタチンもLp(a)には効果がなく、PCSK9阻害薬が一部20~30%程度低下させる副次効果を持つ程度です。しかし世界的に新薬開発が進んでおり、現在Lp(a)を標的としたRNA治療薬(アンチセンスオリゴやsiRNA)の第III相試験が行われています。近い将来、それらが承認されれば直接Lp(a)を下げてリスクを減らす時代が来るかもしれません。それまでは、Lp(a)高値の方は「より一層LDLコレステロールを厳格に管理する」ことが推奨されます。例えば米国の脂質学会(NLA)は、Lp(a)が高くてLDL-Cが70mg/dL以上ある人には、積極的に治療開始または強化を検討すべきと提言しています。つまり、Lp(a)自体は治療標的にはできないものの、「悪玉」の管理目標をより低めに設定してリスク相殺を図る戦略です。
アポリポタンパクB〔ApoB〕
ApoBはリポタンパク粒子中のタンパク成分の一つで、特にLDLや超低密度リポタンパク(VLDL)、IDL、リポ(a)など動脈硬化性粒子すべてに1分子ずつ含まれる構造タンパクです。言い換えれば、ApoBの値を測れば「動脈硬化を起こしうるすべてのコレステロル粒子の総数」がわかります。LDL-C値が同じでも、小型のLDLが多い人やトリグリセリドが高い人では、粒子数としてのApoBが多くなり、実際のリスクは高い可能性があります。そのため、ApoBは総粒子数の指標としてLDL-Cやnon-HDL-Cを補完する役割を果たします。
欧州・カナダのガイドラインではApoB測定が推奨されており、リスク評価や治療目標に組み込まれています。例えば欧州では高リスクでApoB <80 mg/dL、超高リスクで<65 mg/dLを目標にすることも提案されています。一方、米国ACC/AHAガイドラインではApoBは明確な目標とはされていませんが、「リスク増強因子」としてトリグリリッチな症例での測定が考慮されています。NLA(全米脂質協会)も2023年にApoBの活用に関するコンセンサスを発表し、ApoBがリスクマーカーとして重要であることを強調しました。
ApoBを測定する意義
特に高トリグリセリド血症やメタボリックシンドロームの方では、LDL-C値がそれほど高くなくてもApoBが高値になることがあります。こうした場合、non-HDLコレステロール(総コレステロールからHDLを引いた値)やApoBでリスク評価を補完し、必要なら治療強化を検討します。ApoBそのものを下げることが目標ではなく、あくまで「粒子数の多さ」を把握して治療方針に活かすイメージです。なおApoBもLp(a)同様に、それ自体を標的とした治療は現在存在しません(アウトカム試験はApoBを目標に行われていない)。しかしApoBが高い人ではLDL-C管理をより厳密に行うことが推奨されます。
まとめ
Lp(a)とApoBはいずれも通常のコレステロール検査ではわからない情報をもたらし、ハイリスク層の同定に役立ちます。特に家族性の強い心血管疾患や原因不明の若年発症例ではLp(a)測定が、有症候性のメタボ患者ではApoB測定が、それぞれ診療の質を高めるかもしれません。一般の健診ではまだ普及していませんが、主治医と相談の上で必要に応じて追加検査する価値があるでしょう。
5. 冠動脈カルシウムスコア(CAC)によるリスク評価と介入基準
冠動脈カルシウムスコア(CACスコア)とは、心臓の冠動脈に沈着した石灰化(カルシウム)の量をCT検査で数値化したものです。石灰化は動脈硬化が進行したプラークの一部に生じるため、CACスコアを測定することで「血管年齢」や「動脈硬化の負荷」を客観的に評価できます。CACスコアは無症状の人のリスク層別に役立つことが分かっており、近年、特に米国の予防医療で重視されています。
CACスコアの測定は低線量CTで行い、石灰化の面積と濃度からAgatstonスコアという単位で表されます。主な特徴は以下の通りです。
CAC = 0(スコア0)
冠動脈に石灰化が全く検出されない状態です。大規模研究から、CACスコア0の人は近い将来の心血管イベント発生率が非常に低いことが分かっています。例えば10年リスクが5〜20%(中リスク)程度の人でも、CACが0なら当面スタチンなど薬物治療を見送る判断が支持される場合があります。ACC/AHAガイドライン(2018年)でも、リスク境界例で患者が治療に消極的な場合はCAC=0を確認して「まず生活習慣改善で様子を見る」戦略が容認されています。ただしCAC0でもリスクゼロではありません。糖尿病や喫煙者など一部ハイリスク因子を持つ人では、CAC0でもプラーク(非石灰化プラーク)が存在し得るため注意が必要です。
CAC 1~99
軽度~中等度の石灰化あり。加齢とともに石灰化が出てくる人は多く、スコア1以上は「すでに冠動脈硬化が始まっている」と解釈されます。スコアが高いほど動脈硬化負荷も大きく、心血管イベント発生リスクも上昇します。米国ではCACスコアが1以上であればスタチン治療を開始・強化する判断材料になります(特にスコアが年齢の75パーセンタイル以上or 100以上なら積極的治療)。
CAC 100以上
明らかな石灰化が多数検出される状態で、「サブクリニカル(無症状)な冠動脈疾患あり」と見做します。ACC/AHAガイドラインでは、CACスコア100以上(または同年齢層で上位25%以上)であれば高強度スタチン治療を推奨し、LDL 70mg/dL未満を目標とすることが示唆されています。さらに300以上となると石灰化負荷がきわめて大きく、心筋梗塞サバイバー(既往患者)と同等のリスクになるとの報告があります。米国の大規模データ(CONFIRMレジストリー解析)では、CACスコアが300を超えると将来の心血管イベント発生率が過去に心筋梗塞を起こした人と統計的に差がなくなることが示されました。言い換えればCAC>300は「疑似二次予防」に該当し、このレベルの人には二次予防患者並みの集中的治療(LDL目標55mg/dL未満など)が妥当と考えられます。
CAC 1000以上
極めて重度の石灰化です。米国ではCAC>1000であれば即座に強い治療(スタチン最大量+併用薬)を導入することも推奨されています。このレベルだと無症状でも血行再建術(予防的カテーテル治療)を検討すべきとの議論もあるほどです。ただし日本ではそこまで明確な指針はなく、あくまで薬物治療強化の判断材料です。
欧州や日本のガイドラインでは、米国ほどCACスコアを前面には出していません。欧州ESC2021予防ガイドラインでは、CACは「境界リスク例での修飾因子」と位置づけられ、CAC=0ならリスク下方修正、CAC高値なら上方修正するといった記載があります。具体的には、CAC>100であれば高リスクと再分類しLDL目標<70mg/dLに、CAC>300なら超高リスク相当とみなす、といった取り扱いです。一方でCAC=0によるリスク軽減判断については、欧州では明記されておらず慎重です(「CAC0でも若年発症家族歴などある場合は注意」程度の言及)。カナダ(CCS)もCAC>100で治療強化推奨、CAC0の場合の降格判断は明示せず、と米国と欧州の中間的スタンスです。
要するに、CACスコアは「動脈硬化の客観的証拠」として、予防治療の強弱を決める材料になります。特にスタチンを「やるかやらないか」迷うケースで威力を発揮します。例えば40代後半でコレステロールやや高めだがリスクは中等度…という場合、CACを測って0ならば生活習慣改善を優先し、CACが高ければ迷わず薬物治療開始、といった具合です。逆に既に明らかな高リスク(例えば糖尿病や冠疾患の既往)がある人では、CACを測らずとも治療適応は明らかなので、CAC検査は不要です。
近年では「ゼロ・カルシウム(CAC=0)ならスタチン見送り」が安全かどうかに関するデータも蓄積されています。CAC=0の50代前半の人では5年間の心臓イベント発生はごく僅かであり、この間スタチンを飲まなくても大丈夫だったという報告があります。ただ、糖尿病患者ではCAC=0でもイベントリスクが完全にはゼロにならないことも分かってきました。したがって「CAC0だから絶対安全」とまでは言えず、ベースのリスクと併せて解釈する必要があります。CACスコアは加齢や生活習慣の影響も受けるダイナミックな指標なので、若い頃0でも不摂生を続ければ数年後には陽性化する可能性もあります。米国ではCAC0の人には5年おきの再検査を推奨しています。
一方、CACが高かった場合は、その人は「沈黙の動脈硬化」を抱えていることになります。無症状でもプラークがかなり進んでいる証拠ですから、治療介入の強化が正当化されます。具体的には、スタチン治療を即座に開始・増強し、必要に応じてエゼチミブ併用やPCSK9阻害薬まで視野に入れます。LDL目標も55mg/dL未満など厳格化し、生活習慣改善も徹底するでしょう。また、高カルシウム例では他の「隠れたリスク因子」(Lp(a)や慢性炎症、高感度CRPなど)も積極的にスクリーニングし、包括的な対策を取ることが提案されています。
以上のように、CACスコアは画像診断を用いたリスク評価ツールとして、従来の血液検査やリスク計算を補完します。特に「薬を飲むか迷う中間層」において、CACが将来リスクをより的確に予測し、医師と患者が納得の上で治療方針を決定する助けになります。日本でも一部のクリニックや人間ドックでCAC検査が行われ始めていますが、自費検査であることが多く普及途上です。ただ、痛みもなく短時間でできる検査なので、心臓の健康が気になる方は主治医に相談してみるのも良いでしょう。
6. 新リスクスケール「PREVENT」とその課題
心血管リスクを定量評価する計算式として、長年使われてきたのがフラミンガムスコアや2013年導入のASCVDリスクプールコホート式(Pooled Cohort Equations, PCE)です。これは年齢・性別・人種・コレステロール・血圧・喫煙・糖尿病などから10年以内の動脈硬化性心疾患発症確率を算出し、予防治療の適応を判断するのに用いられてきました。しかし近年、米国において新たなリスク予測モデル「PREVENT」が開発され、2023年にAHA(米国心臓協会)から発表されました。
PREVENT(Predicting Risk of Cardiovascular Disease Eventsの略称)は、これまでのPCEを刷新する目的で作られた新しいリスク計算法です。主な特徴は以下の通りです。
大規模データに基づく
PREVENTは米国の大規模な現代コホートデータを用いて開発され、従来のPCEよりも母集団の規模・多様性が向上しています。人種による発症差を直接組み込むのではなく、より公平で精度の高い予測を志向しています
人種・民族要素の排除
PCEでは黒人か否かで別計算式になるなど、人種による差異を考慮していました。PREVENTでは人種や民族をリスク計算に含めないアプローチが取られています。これは社会的公平性を重視した変更点であり、一律の式で全米の人々に適用できます。
年齢範囲の拡大
PCEが40~79歳を対象としていたのに対し、PREVENTは30歳から適用可能です。若年層から早めにリスク評価しようという意図があります。また高齢側も79歳以上の適用を検討中です。
長期リスクの提示
PREVENTでは10年リスクに加え、30年リスク(または一生涯リスク)も推定できるようになっています。若年者では10年リスクが低く見えても、長期では大きな差が出るため、30年スパンでのリスク認識が可能です。例えば同じ20代でも、長期的な生活習慣で将来の発症確率が変わることを示せます。
予測精度の向上
開発時の検証では、PREVENTは従来式より校正度・判別能が改善し、より正確にリスク層別できると報告されました。特に腎臓病やメタボといった健康状態も考慮する「心血管-腎-代謝健康指標」を組み込み、包括的な評価を目指しています。
しかし、この有望なPREVENTモデルにも課題があります。それは「リスク予測値が全般に低めに出る」傾向です。複数の比較研究によれば、PREVENTで算出したリスクはPCEより低い値となりがちで、多くの人を「低リスク寄り」に分類してしまうことが指摘されています。具体的には、PCEで10年リスク10%だった人がPREVENTでは7%に見積もられる、といったケースです。この違いにより、従来ならスタチン適用とされた人が新式では「様子見」と判断される可能性があります。
この問題への対策として、米国の専門家はリスク介入閾値の見直しを提案しています。例えば、PCEでは「10年リスク7.5%以上」を中強度スタチン適用の目安としていましたが、PREVENTではそれを「5%」程度に下げないと高リスク患者を取りこぼす恐れがあるとの指摘があります。実際、AHAの2025年予防指針ではPREVENT導入に合わせ高リスク閾値を7.5%**に設定し直す方向が議論されています。これはPCE旧基準の10%より低い値です。今後、ガイドライン側でこうした調整が行われれば、PREVENTでも適切な介入判断ができるようになるでしょう。
もう一つの課題は「過小評価による安心感」です。患者さん自身がリスク数字を見るとき、PREVENTだと低く出る分「自分は大丈夫」と誤解する恐れがあります。医療者側は「以前の計算法とはスケールが違う」ことを説明し、過信を招かないよう注意が必要です。またPREVENTは心不全や腎臓病リスクも組み込んだ総合的な指標ですが、逆に言えば「動脈硬化だけの純粋リスク」はPCEと若干ズレる可能性があります。臨床では、その人にとって何が一番の懸念か(心筋梗塞なのか心不全なのか)を考慮しながら使う必要があります。
日本では現在のところ、欧米式のリスク計算(SCORE2やPCE)の導入は限定的ですが、予防医療の重要性が高まる中で今後注目される可能性があります。「PREVENT」という名前の通り、このスケールはより包括的な予防戦略のツールです。ただ、新しい式ゆえに経過観察データの蓄積や他国集団への妥当性検証もまだ十分ではありません。例えば日本人など非米国集団で当てはまるかは検証が必要です。現時点では「参考情報」として活用しつつ、最終的な判断は医師と十分相談して決めることが大切です。
まとめると、新リスクスケールPREVENTは画期的な改良を伴う一方、低リスク寄りの出力による潜在的な課題があります。リスク評価はあくまでツールであり、「数値だけで全て決めない」という原則も忘れてはなりません。たとえ計算上リスクが低くても、家族歴や他の検査所見から高リスクと判断されるケースもあります(逆も然り)。PREVENTを含むリスクスコアは上手に用いることで、より個別化された予防医療に貢献することが期待されています。
7. 治療慣性の克服と早期併用療法の意義
「治療慣性」とは、本来必要な治療強化が遅れたり実施されなかったりする現象を指します。高LDLコレステロール血症の管理においても、この治療慣性は大きな問題となっています。具体的には、心筋梗塞など重大なイベントを経験した患者であっても、退院後に十分な強度の脂質低下療法が行われず、LDLコレステロールがガイドライン推奨値まで下がっていないケースが非常に多いのです。
例えば欧州のSANTORINI試験(2020–2021年の観察研究)では、二次予防患者の多くがLDL 70mg/dL未満を達成しておらず、治療強度にギャップがあることが報告されました。米国でも同様に、心血管疾患既往患者の相当数がスタチン高用量になっておらずLDLが目標値以上に放置されている実態があります。この背景には、医師側の「これ以上薬を増やすのは…」というためらいや、患者側の服薬忌避感など複合的な要因があります。しかし、その結果として本来防げたはずの再発リスクを抱え続けてしまうことは見過ごせません。
そこで昨今強調されているのが、「早期併用療法」の意義です。特に非常に高リスクな患者(例えば急性冠症候群でステント治療を受けた直後の人など)では、初めからスタチン単独ではなく複数薬併用で治療を開始するアプローチが推奨されつつあります。欧州や米国のエキスパートは「最初のイベント後こそ時間との勝負。遠慮なく固定用量の併用療法を導入すべきだ」と提言しています。実際、ESC/EASの2021年ステートメントでは「二次予防では退院時にスタチン+エゼチミブを開始、数か月見ても目標未達ならPCSK9阻害薬追加」という積極策が示されました。これは従来の「スタチンで様子を見て、だめなら追加」という段階的手法ではなく、はじめから併用で一気に下げに行く戦略です。
早期併用療法の利点は、以下のように考えられます。
迅速なLDL低下
心臓イベント後の数か月は“脆弱期”であり、この間にLDLをできるだけ下げることが再発予防に重要です。併用療法なら短期間でLDLを大幅低下させ、プラーク安定化や二次予防効果を早期にもたらせます。実際、スタチン+エゼチミブ併用は高強度スタチン単独と比べLDL低下が速やかで、臨床成績も遜色ないとの研究があります。
最大量スタチンによる副作用回避
スタチンを最大用量まで増量すると副作用リスク(筋症状や肝酵素上昇など)が高まる一方、LDL低下効果の上乗せは6%程度と限定的です。そこで中等量スタチン+他剤併用とすることで、副作用を抑えつつLDLを大きく下げられます。実際、中強度スタチン+エゼチミブは高強度スタチン単独に匹敵するLDL低下と効果を示すことが確認されています。
治療コンプライアンスの向上
併用療法では内服薬の種類が増えますが、近年は配合剤(例えばスタチンとエゼチミブの合剤)も登場しつつあり、患者さんの負担を抑える工夫がされています。一度に複数薬を開始することで「様子見による遅れ」を防ぎ、明確な目標達成に向けた動機づけにもなります。
もちろん全員に初めから併用せよというわけではありません。リスクやベースのLDL値によります。しかし、「どうせそのうち必要になるなら早めに使ってしまおう」という発想は、これまでの漸増アプローチを見直す上で重要です。特に動脈硬化がかなり進行している高リスク患者では、最初の治療からアクセル全開で行くことが最善の予防につながる可能性があります。
実臨床では、治療慣性の要因として医師の躊躇(副作用や費用への懸念)や患者の意向(「これ以上薬は増やしたくない」)が挙げられます。これを克服するには、ガイドラインに沿った明確な治療目標を共有し、リスクとベネフィットを丁寧に説明していくことが大切です。
近年の研究でも、スタチン以外の併用薬を使った試験の大半は背景にスタチン治療がなされており、リスク低減効果は結局「LDL低下幅」に比例することが示唆されています。つまり「薬の種類よりLDLをどれだけ下げたか」が重要であり、様々な薬を組み合わせてでも必要なだけ下げきることが患者さんの予後を左右します。治療慣性に陥らず、適切なタイミングで治療強化を行うことで、長期的な合併症予防に大きく貢献できるのです。
8. 残存トリグリセリド(中性脂肪)リスクとイコサペントエチルの役割
LDLコレステロールを十分に下げても、なお残る心血管リスクの一つに高トリグリセリド血症(高中性脂肪)が挙げられます。トリグリセリド(TG)は食事や肥満と関連する脂質で、近年、「残存リスク」の重要な一因であることが再認識されています。特にメタボリックシンドロームや2型糖尿病の患者では、LDLが目標値でもTGが高値(例えば150 mg/dL超)であるケースが多く、これが動脈硬化の促進や膵炎リスクに寄与し得ます。
スタチンはTGもある程度下げますが、その効果は限定的です。一方、TGを標的とする治療としては魚由来の不飽和脂肪酸(オメガ3脂肪酸)やフィブラート系薬などが古くからあります。しかし、これらの心血管アウトカム(臨床転帰)への有効性は長年はっきりしませんでした。過去の大規模試験では、フィブラート併用は全体として心疾患抑制効果が明確でなく、魚油サプリも一貫した成果が得られていませんでした。
この流れを変えたのが、2018年に報告されたREDUCE-IT試験です。この試験では、高リスク患者(心疾患既往または糖尿病)でスタチン治療中にもTGがやや高め(中央値216 mg/dL)な群に対し、イコサペントエチル(EPAの高純度製剤)を1日4g投与しました。その結果、プラセボ群と比べ主要心血管イベントが25%も減少したのです。これは予防医学領域で画期的な成果でした。特に、EPA製剤投与群では心血管死や心筋梗塞、脳卒中といったハードエンドポイントが軒並み有意に低下し、「スタチンでLDLを下げきった後の追加介入」として大きな注目を浴びました。
REDUCE-ITで用いられたイコサペントエチル(商品名バセピなど)は、EPA(エイコサペンタエン酸)というオメガ3系脂肪酸を主成分とする医療用製剤です。日本ではEPA製剤は以前から中性脂肪を下げる薬として使われ(日本人を対象としたJELIS試験でも心イベント抑制傾向が示されていました)、身近な存在でした。その高純度版であるイコサペントエチルが、改めて「心臓を守る薬」として世界的脚光を浴びた形です。
イコサペントエチルの作用と意義
イコサペントエチルは主に肝臓でのTG合成抑制や血中でのTGクリアランス促進により、中性脂肪値を約15~20%低下させます。しかしREDUCE-ITの考察で興味深かったのは、「観察された心イベント減少は単なるTG低下効果だけでは説明できない」という点でした。EPA投与群では高感度CRP(炎症マーカー)が顕著に低下し、またLDL中の酸化ストレスやプラーク性状改善など抗炎症・抗動脈硬化作用が示唆されました。つまりEPAは「魚の油で血管をコーティングする」ようなイメージで、動脈硬化の改善をもたらす可能性があります。
現在、米国や欧州のガイドラインでも、このエビデンスを踏まえて高リスク患者の残存リスク対策としてイコサペントエチルが挙げられています。具体的には、「スタチン治療中でLDLコントロール良好だがTGが135〜499 mg/dLとやや高い」患者に対し、イコサペントエチル2gを1日2回追加することがクラスIIa~IIb推奨となりました。欧州でもTG >135 mg/dL以上の二次予防例にはEPAを考慮するとしています。カナダCCSも同様に推奨を記載し、フィブラートよりEPAを優先する流れです。
日本においても、2019年にイコサペントエチル製剤(エパデール)が「心血管イベント抑制」の効能追加承認を取得しています。これにより、高TG血症の冠動脈疾患患者などにEPA併用が正式に認められ、実地臨床でも使われ始めています。注意点として、REDUCE-IT試験では若干心房細動の発生増加(3% vs 2%)や軽度の出血リスク増加が報告されました。特に抗凝固薬や抗血小板薬を併用している人では、出血傾向に留意が必要です。ただ、これらリスクは大きな懸念ではなく、全体としてEPAのメリットが勝ると判断されています。
残存リスクとしての高トリグリセリドに対しては、生活習慣改善も重要です。糖質やアルコールの摂取制限、減量、運動などでTGは下げられる場合が多いです。まずはそれら基本を行った上で、それでも残る高TGに薬物療法を考慮します。EPA製剤は比較的副作用も少なく日本人にも馴染みある薬剤なので、特に和食中心でもTGが高めな方には適した選択肢と言えるでしょう。
近年、別の観点から「残余(レムナント)コレステロール」という概念も注目されています。これは総コレステロールから(LDL+HDL)を引いた値で、主にVLDLやIDLといったTG含有リポタンパクのコレステロール量を反映します。レムナントが高いほど動脈硬化リスクが高まることが示されており、レムナント = 非HDL – LDLとも定義できます。TGが高い人ではレムナントコレステロールも高くなりがちで、LDL管理達成後の次なる目標としてこのレムナント低減が課題となります。EPAやフィブラートはこのレムナント低下にも有効です。特にEPAは上述のように臨床アウトカムまで改善することが示されたため、レムナントリスク対策として非常に貴重な武器です。
まとめ
LDLをしっかり下げた「その次」に目を向けると、なお残るトリグリセリドやレムナントのリスクがあります。これを放置せず対処することで、心血管イベントの更なる減少が期待できます。イコサペントエチル(EPA)は、その切り札として位置づけられ、多くのガイドラインに組み込まれました。魚に由来する自然の成分であり、「日本人にとって馴染み深いものが実は大きな効果を発揮した」という点でも興味深いブレイクスルーでした。今後は、EPA以外にも効果的なTG低下薬(例えば新規のPPAR作動薬やCETP阻害薬の一部など)の開発が期待されますが、現時点ではEPAが“残存リスク”対策の第一選択といっても過言ではありません。
9. HDL(善玉)コレステロールと生活習慣の是正
高密度リポタンパクコレステロール(HDL-C)は一般に「善玉コレステロール」と呼ばれ、動脈壁から余分なコレステロールを引き抜いて肝臓に戻す働きを担います。疫学的にも、HDL-Cが高い人ほど心血管リスクが低い相関関係が古くから知られています。しかし、「HDLコレステロールが高ければ安心か?」というと、話はそう単純ではありません。
まず、HDL-Cは遺伝や生活習慣の影響を大きく受ける指標です。喫煙するとHDLが低下し、運動習慣があるとHDLが上昇する、といった具合に変動します。また、HDL粒子の質(機能)も重要で、一部にはHDL-C値が高いのに心疾患リスクが下がらない「機能不全HDL」の存在も報告されています。つまりHDL-Cは単に高ければ良いとは言い切れず、適切に働いているかが肝心です。
さらに決定的なのは、HDLを人工的に上げても心臓病リスクは減らないという数々の臨床試験結果です。代表的な例として、ナイアシン(ニコチン酸)という薬はHDLを上昇させる作用があり期待されましたが、大規模試験で心筋梗塞や死亡率を減らせませんでした。また、フィブラート系薬も中性脂肪低下とHDL上昇効果がありますが、全体として心血管アウトカムの改善は限定的でした。さらに、HDLを劇的に増やすCETP阻害薬(例えばトルセトラピブ)は臨床試験でかえって死亡率が増える結果となり、開発中止となりました。総括すると、「薬でHDLを上げても利益なし」というのが現在の医学界の一致した見解です。
このため、近年のガイドラインではHDL-C値を治療ターゲットにはしない方針がとられています。LDLや非HDLコレステロールの改善に注力すべきであり、「HDLが低いからといって特別な薬を使う必要はない」という立場です。実際、2022年に発表された米国予防サービス作業部会のエビデンスレビューでも、HDLを上げる治療は推奨されていません。一方でHDLが極端に低い(<20mg/dL程度)場合は何らかの代謝異常や遺伝背景が疑われるため、念のため二次的原因(例えば肝疾患など)の検索が行われることがあります。しかし大半のケースでは、HDLは「結果」であって「原因」ではないと理解することが重要です。
ではHDLが低い人は何もしなくて良いのか?そうではありません。HDLが低い背景にはしばしば生活習慣上の問題が潜んでいます。運動不足、肥満、喫煙、糖質過多などはHDL低下の典型的な要因です。したがって、HDLが低めの方は生活習慣の是正がまず第一に推奨されます。具体的には、
定期的な有酸素運動
週150分程度の中強度の運動(速歩やジョギング、水泳など)を継続すると、徐々にHDLが上昇します。運動はHDLの品質(コレステロール引き抜き機能)も改善する可能性があります。
禁煙
喫煙はHDLを顕著に低下させます。タバコをやめることでHDL-Cが10%以上上がったとの報告もあります。禁煙はそれ自体が心血管リスクを下げるため、HDL低下がなくとも必須ですが、HDLを上げる意味でも大切です。
• 減量と食習慣改善: 内臓脂肪が多いとHDLが低くなりがちです。適正体重への減量はHDL改善に寄与します。また、飽和脂肪(肉の脂身やバター)を控え、オリーブオイルやナッツなど不飽和脂肪酸を適度に摂るとHDLが上がりやすくなります。野菜・果物・魚中心の和食や地中海食はHDLを高める好影響があります。
過度の糖質・アルコール制限
糖質過多は中性脂肪を増やしHDLを下げます。甘い飲料や菓子の摂取を減らしましょう。また適量のアルコール摂取はHDLを上げることが知られていますが、飲酒は他の害もあるため心血管のために勧められるものではありません。飲酒習慣がある人はほどほどに(男性1日20g、女性10gエタノール以下)留めます。
以上のような生活習慣の是正こそが、HDLを改善する唯一の確立された方法です。これらは同時にLDLや血圧、血糖の改善にもつながり、総合的に心血管リスクを下げます。「善玉を増やす薬がないならどうしよう」と悲観する必要はありません。生活習慣を整えることが最良のHDL改善策であり、それによって得られる健康利益は計り知れません。
最後に一つ付け加えると、HDLコレステロールが極端に高い場合(例えば100mg/dL超)も実は要注意です。近年の研究で、非常に高いHDL値はかえって心血管リスク増と関連する可能性が示唆されています。これはHDLの質的異常や他の遺伝的要因が関与すると考えられます。したがって「善玉も行き過ぎは毒」という一面も覚えておき、異常高値の場合は専門医に相談すると良いでしょう。
総括すると、HDLコレステロールは重要な健康指標ではあるものの、それ自体を直接標的にする治療法はありません。大事なのは、HDLが低めの人ほど生活習慣を見直し、他のリスクファクター管理(LDL低下や血圧管理など)を徹底することです。地道な努力が善玉を支え、結果的に心臓を守ることにつながるのです。
■よくある質問(FAQ)
Q1. LDLコレステロールはなぜ「悪玉」と呼ばれ、そんなに下げる必要があるのですか?
LDLコレステロールは動脈硬化の直接的な原因物質であり、血管に蓄積するとプラークとなって心筋梗塞や脳卒中を引き起こします。長年の研究で「LDLを下げれば下げるほど心血管病リスクが減る」ことが確立しており、最新ガイドラインでは非常に低い目標値(55mg/dLや再発例では40mg/dL未満)が設定されています。また、LDLを極端に下げても人体に悪影響はなく、安全であることも示されています。体に必要なコレステロールは肝臓が作るため、血中LDLを減らしてもホルモンや細胞膜が不足する心配はありません。要するに、「悪玉」の名の通りLDLは少ないほど良く、心臓や脳の病気予防のため積極的に下げる必要があるのです。
Q2. スタチンは副作用が心配です。長く飲んでも安全でしょうか?
スタチンは数十年にわたり世界中で使われてきた非常にエビデンスの豊富な薬で、適切に用いれば安全性は高いです。主な副作用は筋肉痛やだるさ(スタチン関連筋症状)ですが、発生は5~10%程度で、大半は軽度です。重篤な筋障害(横紋筋融解症)は10000人に1人以下の稀な頻度です。またごくわずかに血糖値が上がることがありますが、これも心臓発作予防効果と比べればメリットが圧倒的に勝ります。肝機能障害は以前懸念されましたが、現在の低~中用量では深刻な肝障害は極めてまれです。もし筋肉痛などが出ても、減量や別のスタチンへの変更で大半は対処可能です。どうしてもスタチンが合わない場合はエゼチミブやPCSK9阻害薬など代替薬もありますので、主治医と相談してください。重要なのは、自己判断で中断しないことです。スタチンを止めるとLDLがリバウンドしてしまい、結果として心血管リスクが上昇します。定期的な血液検査で安全を確認しながら、長期にわたって継続することが何より大切です。スタチンは「飲み続けてこそ効果が持続する」お薬です。医師の指示のもと適切に服用すれば、長期にわたり大きな恩恵を受けられます。
Q3. スタチンだけでコレステロールがあまり下がりません。次の手段はありますか?
はい、スタチンで十分下がらない場合には併用できる他の薬剤があります。まずエゼチミブがあります。これは腸からのコレステロール吸収を抑える薬で、スタチンに追加するとLDLコレステロールをさらに15~20%程度下げられます。次にPCSK9阻害薬という自己注射の薬があります。これは肝臓がLDLを取り込む力を飛躍的に高める薬で、LDLを50%以上大幅に低下させることも可能です。心筋梗塞の予防効果も証明されており、スタチン+エゼチミブでも目標未達の場合に考慮されます。また最近ではベンペド酸という新しい飲み薬も登場しました。スタチンに似た経路でLDLを下げますが筋肉への影響が少なく、単独あるいはエゼチミブとの配合剤で効果を発揮します。さらに半年に1回の注射薬インクリシランも海外で使われ始めており、LDL低下効果はPCSK9阻害薬と同程度です。このように複数の選択肢がありますので、スタチン最大量でもLDLが目標より高い場合は、遠慮なく併用療法を検討すべきです。実際、ガイドラインでも「必要ならエゼチミブ追加、それでも不足ならPCSK9阻害薬追加」が推奨されています。主治医に相談し、自分に合った追加療法でLDL目標達成を目指しましょう。スタチンだけに固執せず、「複数の薬を組み合わせてしっかり下げきる」ことが重要です。
Q4. 血液検査でリポタンパク(a)が高いと言われました。これは何ですか?治療は必要でしょうか?
リポタンパク(a)【Lp(a)】は特殊な悪玉コレステロールの一種で、遺伝的に決まる値です。高い人では心筋梗塞などのリスクが上がることが分かっています。残念ながら今のところLp(a)そのものを下げる薬はありません。ただし、Lp(a)が高いことが分かった場合、医師はLDLコレステロールなど他のリスク因子をより厳格に管理しようとするでしょう。例えば「LDLは70未満でいい」とされるケースでも、Lp(a)が高ければ55未満を目指す、といった具合です。実際、米国のガイドラインではLp(a)が高い人はリスク上乗せ因子と考えます。一度Lp(a)を測っておくと、生涯にわたって有用な情報になります(基本的に一生ほぼ変わらない値なので)。特に家族に若い頃の心臓病がある方などは測定が勧められます。治療として特別な薬は不要ですが、他のコレステロール値管理を徹底してください。また今後、Lp(a)を下げる新薬(遺伝子治療的な薬)が開発中なので、将来的には直接治療も可能になる見込みです。それまでは、「Lp(a)が高い=動脈硬化リスクがやや高め」と認識し、生活習慣改善と標準治療を一層しっかり行うことが肝要です。
Q5. HDLコレステロール(善玉)が低いと言われました。善玉を増やす薬はないのですか?
HDL(善玉)を直接増やす薬は残念ながらありません。過去にナイアシン(ビタミンB3)やCETP阻害薬など色々試されましたが、HDLを上げても心臓病が減らないことが分かっています。したがって現在は、HDL値そのものを治療ターゲットにはしない方針です。大事なのは生活習慣の改善です。運動習慣をつける、禁煙する、食事を見直す(魚・野菜中心、糖質や飽和脂肪を控える)などでHDLはある程度上がりますし、何よりそれが心臓病予防に直結します。HDLは遺伝要因も強く、体質で低めの方もいます。しかしHDLが低い=すぐ心臓病という訳ではないので過度に心配しないでください。むしろLDL(悪玉)や血圧・血糖の管理に注力しましょう。HDLが低い方ほど生活習慣に気を配り、他のリスク因子をしっかりコントロールすることが重要です。それによって結果的にHDLも上がり、総合的にリスクが下がることが期待できます。「善玉を薬で増やす」近道はありませんが、地道な努力が最大の近道になります。一緒に頑張りましょう。
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記事監修者田場 隆介
医療法人社団 青山会 まんかいメディカルクリニック 理事長
医療法人社団青山会代表。兵庫県三田市生まれ、三田小学校、三田学園中学校・同高等学校卒業。 1997(平成9)年岩手医科大学医学部卒業、町医者。聖路加国際病院、淀川キリスト教病院、日本赤十字社医療センター、神戸市立医療センター中央市民病院を経て、2009(平成21)年医療法人社団青山会を継承。 2025年問題の主な舞台である地方の小都市で、少子高齢化時代の主役である子どもと高齢者のケアに取り組んでいる。
